音楽仲間が死んだ。
二十近く年上のひとだから、仲間、というよりは、大先輩、というべきなのだろうが、一緒にバンドをやっていた人なので、仲間、と呼びたい。呼ばせてもらう。
解散したつもりのないバンドだが、頭のどこかで、もう復活することはないのかもしれない、と思っていたバンドの、ベーシストが死んだ。
もう本当に復活することはなくなってしまった。
ないのかもしれない、と、なくなってしまった、には大きな隔たりがある。
ないのかもしれない、のほうが、当然だけど、何杯も何十倍も良かった。
もう何年も会っていなかった。
二度目の脳梗塞を患ったと聞いたとき、まさにコロナ禍真っ只中で、面会もできず、本人も望んでいないと人づてに言われた。でも一度目の脳梗塞のあと、ギター弾いて歌ってたからさ。いつかは会えるかなってちょっと思ってたよ。いつものイベントにふらっと来て、あなたが作ったイベントに、夫が引き継いだイベントに、ふらっと来て、ダメ出しして帰るんじゃないかなって思ってたよ。思っていたかったよ。
あんなに痩せちゃってたんだなぁ。
そのバンドに入ったのは私がハタチになるかならないかの頃だった。大学2年。
バイト先はライブ喫茶だった。
若い人たちがいっぱいというよりは、ちょっと渋めの、フォークソングとか、ジャズとか、そういうライブ。とは言えプロも来るお店だったし、でも敷居が高すぎるみたいなこともなくて、同好会みたいな人たちの演奏会のときもある。そんなお店。
そのお客さんで、ギターボーカル、ギター、ドラム、ベースの四人組バンドに私は加入することになった。キーボードが欲しいと思ってて、と、その頃ジャズのピアノトリオをちょびっとだけ始めた私に、ジャズバンドにも所属しているギターボーカルの方が、声をかけてくれたのだった。
とりあえず参加することにした。なんでもやってみたかった。
当時は「オヤジバンド」って言葉がなんか流行してて。
おやじバンドの紅一点(しかも若い)の立場をそこそこ謳歌して。
結婚して子供産んで、でも、つま恋のオヤジバンドフェスティバルとか出たなぁ。
子育てとか。他の人が引っ越したりとか。転職とか。そういうのがあってだんだん活動できなくなって、でも、やれたらいいよね、いつかやろうねって会う度喋ったよね。
せめてCDには残したくない?って言ってたよね。
毎回テープに練習録音してたよね。
聞き直してたよね。
休憩中の馬鹿な会話とかも全部聞き直して笑ってるって言ってたよね。
一個くらいもらっとけばよかったなぁ。
お通夜の会場に入ったら、小さな音でだけどロックが流れてた。思わず天井見ちゃった。ビートルズ? クラプトン? ボブ・ディラン? 聴き取れなかったけど、エレキギターの歪んだ音がしてて、あー、って思ったな。あー。
棺の中の人は知らない人みたいに真っ白で、なんか痩せてて、だけど、その横に立ってたベースに、よくかぶってた中折れ帽がちょこんと載ってて、また、あー、って思ったな。
祭壇の写真は見覚えのあるふくふくした顔の写真で、その周りにはビートルズとかクラプトンとかポールとか、レコード置いてあった。誰が選んでくれたのかな。好きだったよね。好きだったよねビートルズ。ポールの話、良くしてたよね。
ああ。
あー。
なんにも言えなかったなあ。
泣いたよ。
だけど私にはそんなに音楽の話をしても打てば響くみたいにはかえってこないってわかってたのか、私には本の話が多かったね。
京極の話いっぱいしたよね。
あとラヴクラフト。
ねえ。
京極の新刊読んだかな。
ずーっと待ってたよね私たち。
新刊出るんだって!!
て送ったメールは戻ってきた。相手に届かなかった。そりゃ何年も連絡してないもんなと思ったし、病院に長く入ってるらしいとその頃には噂で聞いてた。でもさ。
でもさあ!
さみしいね。
さみしいよ。
音楽仲間がいっぱい来てたね。
私が帰ってからも来てたのかな。来てたよね。
正直なことを言えば、ぶっきらぼうな物言いで、怖くて、最初は苦手だったけど。
そこそこ、仲良くしてくれてたと思ってるんだけど。
そう自負しているんだけど。
ね。
昨日の夜はしこたま飲んだよ。
あなたはお酒好きじゃなかったけどさ。
飲まずにいられなかったな。
飲みながらこれを書いた。アップしようか迷ったけど、自分のためにしておく。いつかの自分のために。あと、私の文章を時々褒めてくれたベーシストへの感傷として、残しておきます。
ばいばい。
御冥福をお祈りします。
祈るしかないじゃん。
ねえ?