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雑多です

【過去作】さよならフェアリーテール

 ゆるやかな坂道を下っていると、この感覚はひどく恋愛に似ている、と、美妃は思う。ゆるやかすぎて加速していることにも気付かない。足を取られて転ける──そうなって、初めて気付くのだ。

 そしてその頃には取り返しがつかない。

 自分ではどうすることも出来ない、今みたいに。

 

good-bye, Fairy Tale

 

 美妃は前を歩く夏目の背中を見ている。夏目はひとつ年下の同期入社の、上司だ。

「児玉さん」

 夏目が静かに振り返る。美妃ははい、と答える。

「時間少し早いから、向こう近くなったらお茶しよう」

「いいですね」

「どこか知ってる?」

「お任せします、チーフに」

 美妃は静かに笑って答える。チーフ、という響きに、夏目が僅かに傷ついた顔をした。けれど彼はそれを隠すように目を伏せて、そして、前を向いた。黙ったまま。

 半年前、夏目、と呼んでいた彼を、美妃は「チーフ」と呼ぶようになった。彼が昇進したとか、彼女が降格したとか、そういうわかりやすい理由ではなく。

 それまでは、入社当時のまま──一浪したためにひとつ年上の美妃を、夏目は「児玉さん」、美妃は「夏目」と──呼びあっていた。配属替えになっても、夏目が上司になっても、それは変わることはなかった。──半年前までは。

 けれどもう、美妃は彼を「夏目」とは呼ばない。

(なつめ)

 胸の内では、呼ぶ癖に。

 口に出さなくなって久しいその響きは、それでも、美妃にとってとても愛おしいものだ。

(……なつめ)

 前を歩く夏目の、ぴんとして皺のないシャツを美妃は見つめる。先月まではあまり綺麗に皺が伸びていなかったはずだった。

(彼女が、かわったの、かな)

 今は誰が洗っているのだろう。アイロンをかけるのだろう。それとも今はフリーで、クリーニング店の仕上げなのだろうか。考えてしまう。見えてしまうから。

 いつも側に、いるから。

 夏目は仕事もできるし愛想もいい。後腐れなく遊んでいた時期も知っている。

 けれど三十路を目の前にすると、そうそう遊び相手でもいられないのだろう、夏目の身のまわりに、マーキングみたいに女の影が見え出した。シャツのアイロンしかり、弁当しかり。

 美妃はいつもそれに勝手に傷つく。

 夏目のシャツにアイロンをかけるつもりも、夏目のために食事を作るつもりも、ない癖に。

(悔しいからね)

 半年前まで、二人は互いに他で適度に遊びながら、時折二人で食事をした。酒を飲んだ。

『──なってよ、彼女』

 けれどあの日、光り輝く観覧車を見ながら、夏目は優しく告げた。

 知っていた。わかっていた。夏目の気持ちも、美妃自身の気持ちも。

 美妃はそれを、静かに断ったのだ。

『出来ない──ごめんね夏目』

 うれしかった。

『なんで?』

 好きだった。夏目を好きだった。

『……妬ましいから……』

 けれど、それ以上に、──妬ましかった。

 釣り合いもしない夏目の隣で、張り合って背伸びして疲れていく、そんな自分の姿しか、美妃には見いだせなかった。

『どういう、こと?』

 憎らしかった。悲しかった。

 自分が仕事が出来ることに対して、周囲からそんな風に思われていると想像したことすらない夏目の、その恵まれた才覚が、屈託のない精神が。

 そしてそれを持ち得ない、自分が。

『……、』

 応える言葉を、美妃は持たなかった。

 恋しい気持ちより意地の方が勝っている自分の醜さを、知られたくなかった。

 互いの沈黙の内に夏目は去り、夏目が去って初めて美妃は泣いた。

 明るくひかる観覧車は、小さいときの記憶のなかにある童話のお城みたいに眩しくて美しくて、

 だからこそ妬ましくて憎らしくて悲しくて、

 ひとり、声を上げて、泣いた。

 

 それから美妃は、夏目、と呼ぶのをやめた。隙のない笑顔で敬語を使い、食事に行くことも、飲みに行くこともなくなった。

 それでも、離れてしまうことはできない。夏目ほどではないにしても、美妃も部署では大きな戦力になっている。個人的な理由で抜けるわけにはいかなかった。

 何より、プライドが許さなかった。

 側にいれば、より傷つくプライドだとわかっていても。

「児玉さん?」

 呼びかけられた声に、美妃ははっとして慌てて表情を取り繕う。夏目がまた、小さく傷ついた顔をした。

「ここでいい?」

 それでも、愛想よく夏目が尋ねる。はい、と口を開きかけて、けれどそれは声にならないまま消えていった。

 どれだけ自分が、夏目の背中に頼りきって歩いていたのかがわかる。

 声をかけられるまで、自分がどこを歩いているのか、気にさえしなかった自分を知る。

 立ち止まった夏目に合わせて、美妃も止まる。しばらくの間、二人は店の白いドアの前で見つめ合っていた。

「……、話をしたいよ、児玉さん」

 ぽつりと呟かれた声の低さに、既に自分に逃げ場のないことを知る。それでも、美妃は抵抗を試みる。

「今日のプレゼンのですか?」

 ひどく明るく、にこやかに、それは発された。濃い朱でかたどられた唇は、店の窓に映る限りでは綺麗に微笑むことができていた。

「──違う、」

 それは、いつも柔らかな夏目らしくない、かたいかたい、声だった。滅多に聞くことの出来ない苛ついた声に、美妃は心を震わせる。同時に最後の抵抗もさらりと潰され、美妃はただ押し黙る。

 ギィと音を立てて、夏目がコーヒーショップのドアを引く。静かに怒りを湛えた瞳が、それでもレディファーストを促す。美妃は黙って従った。

 ざわざわとした人の声と、うるさくない程度のBGM。コーヒー豆をひく音、ポットの中の湯が沸く音、食器の音。そして、コーヒーの匂い。

 何度も二人でコーヒーを飲んだ店、慣れ親しんだカウンター、見慣れたマスターの顔。

「……ホットとアイス」

 夏目はさらりと注文する。夏でも冬でも美妃はコーヒーをホットでしか飲まない。それを夏目は、知っているから。

 夏目の静けさに、体の奥がつめたく震える。けれどそれを覆い隠して、美妃は唇のかたちを整える。

 児玉美妃、ではなく、部下の一人であるときの顔で、美妃は夏目の言葉を待つ。

「児玉さん」

 精一杯の優しい声だっただろうが、まだ少し苦い感情が混ざっていた。美妃は、なんですか、と答えようと夏目を見て、そのあまりに淋しげに傷ついた表情に息をのむ。言葉は声にならない。

「先に言うけど、仕事の話をする気はないよ」

 表情に似合わない、ひどくはっきりとした声だった。

 しばらく目線を合わせた後に俯いて、美妃は静かに、けれど深く深く、呼吸をした。夏目には気付かれないように、静かに。

 覚悟が決まるまでの、長い長い、一瞬。

 地味なバレッタで留めていた髪を外して、自分の中でスイッチを切り替えた。そして美妃は低く言葉を紡ぐ。

「──今更何を話すのよ」

 胸の鼓動は早い。けれど美妃は顔を上げ、夏目の目を見た。まっすぐに。

「児玉さんは……俺を好きだと思ってたって話とか、どう?」

「はっきり言い切ったわね」

 美妃は苦く笑う。互いの想いなど美妃がお見通しなのと同じように、夏目にもお見通しだったのだろう。

「ごめん、でも、……」

「謝らなくていい。──そうよ、夏目」

 夏目の言いかけた科白を遮って、美妃ははっきりと口にする。久しぶりに声にしたその名は、美妃の耳にひどく甘く届く。

「あんたのことが好きだわ」

「それならどうして」

「言ったでしょ? 妬ましいって」

 なぜ、と問われる前に、美妃は一言、付け足した。

「あんたが、上司になって……私が何も思わなかったと、本気で思う?」

 ぴくりと夏目の指先が震える。それだけで、美妃には充分だった。

 何かを答えようとする夏目の言葉は、けれど声にならない。マスターが無言のまま二人のコーヒーをカウンターに置いたからだ。

 美妃は夏目のアイスコーヒーに、ミルクを少しと、ガムシロップを多めに注いでから、それを彼に渡した。

 夏目の好みなら知っている。きっと誰より。けれどこんなことをしたことはなかった。夏目はありがとう、と小さく口にし、アイスコーヒーに口をつけた。綺麗な喉仏が上下するのを、美妃は静かに見つめた。

 満足そうに飲み終えたのを見届けて、美妃は口を開く。

「……こんな風に、私があんたのために生きられると思う?」

 夏目の瞳が、静かに美妃をとらえた。その視線に微笑んで、重ねて問うた。

「それで、私が幸せになれると、思う?」

 夏目の瞳が見開かれ、そして、グラスへと戻る。

「答えて、夏目」

 けれど容赦なく、美妃は促す。

「答えなさいよ」

 つよく、つよく。

 目を反らした夏目を、美妃は赦さない。

 話を、と望んだのは自分ではない、夏目なのだから。

「──、でも、俺は」

 夏目が必死に口を開く。こちらを向いた彼のその頬は、強張っていた。

 傷付いた夏目を哀れだと思う自分と、妙な優越感を抱く自分とが、揺れている。

 美妃は、静かに続きを待った。

「俺は、あなたが……」

 けれど、それは続かなかった。言い淀んで、また夏目は目をそらす。美妃は苦く笑んで、冷めかけたコーヒーを口に含んだ。

 苦い、苦い、味がする。

 ひどく、苦い。

「──思わないでしょ?」

 美妃は優しく囁く。

「……私も、思えないんだから、仕方ないわ」

 困ったように笑んで、美妃は応える。

 美妃には、童話の中のお姫様の夢は見られない。

 末永く幸せに、なんて思えない。

 この意地と矜持が、ある限り。

 付き合って、結婚して、子供を産んで育てて。その間に、美妃はまた、夏目に置いて行かれる。

 それが、妬ましくて、悲しくて、憎らしい。

「ごめんね夏目」

 美妃は優しく優しく、告げた。

 これ以上ないほど、優しく甘く。

「ごめん」

 夏目は何ひとつ悪くない。

(ごめん)

(すべてを諦めて飛び込めなくて)

 諦めてしまえばいいだけなのに。

 意地も矜持も投げ出してしまえば。

 ──そうできれば、一緒にいられるのに。

(でも、好き、)

 美妃にもわかっている。

 わかって、いるけれど。

「傷付けて、ごめん」

 諦められない。投げ出せない。

 何より、それができてしまう自分を夏目が愛するとは、美妃にはどうしても思えなかった。

(それでも、好きだ、と)

(言えたら)

 美妃は、夏目の横顔から目を、離さない。

(言って、くれたなら)

 確かな拒絶と──、幾ばくかの期待とに、心は揺れる。

(好きだと、言って、)

 ……揺れて、いたのに。

「もう、いいよ……」

 夏目が俯いたまま、声をしぼりだす。

「──もう、わかった」

 幾分かはっきりした声で夏目が言う。美妃は答えなかった。そのまま、夏目も話さない。

 沈黙の内にグラスとカップは空になり、迫りくる打ち合わせの時間に向けて、それぞれに会計をすませて店を出た。

「児玉さん」

 呼ばれた声に、美妃は夏目を見あげる。夏目は悲しそうに、笑った。

「コーヒー……完璧だった」

 そう、と、美妃も微笑む。

「ありがとう」

 笑うほかに、何も出来ずに。

(なつめ)

(好きよ、だから)

 歩き出した夏目の、半歩うしろを歩きながら、美妃は背中に願う。

(はやく、しあわせになって)

(みせつけて)

 夏目の、ぴんと伸びた背中が、美妃は好きだ。

 今でも。

(好きよ、だから、)

 消すことの出来ない恋心と、嫉妬心とで、どうすることも出来ない。

 転けてしまうまで止まることもできない、ゆるやかな下り坂を、今も美妃は歩いている。

「行こうか」

「──はい、チーフ」

 だから、きっと泣くであろうその日を、美妃は夢想する。

 いっそ、その涙が、愛おしく思えるほどに。

(はやく、あんたを、)

(あきらめさせてよ)

 童話の中の幸せなお姫様が、夏目をさらって行く日を、夢想する。

 いっそ、その日が待ち遠しく思えるほどに。

 

 

 

*2010年頃の作品。

*今日のお菓子は三題噺ノベコンに投稿したもの。お題は「童話・愛想・コケる(転ける)」。

 

【読書】夢・出逢い・魔性/森博嗣

 

読書日記と言いつつ、本の内容よりは自分の思い出を語る予定です。ネタバレも極力しないつもり。

それでもよろしければお付き合いください。

 

最近、森博嗣をちょっとずつ読み直している。最近、と言いつつ、一年二年は経っているかもしれない。ほかにも読みたい本がいっぱいあるので、一か月に一冊読めればいいほうだから。

なぜ読み直そうかと思ったかといえば、「オメガ城の惨劇 SAIKAWA Sohei’s Last Case (講談社ノベルス) [ 森 博嗣 ]」を読んだから。

 

森博嗣京極夏彦有栖川有栖、……などなど、メフィスト賞とか講談社ノベルスとか、新本格とか、なんかあのへん(雑ですみません)が、私の一番読書していた青春時代の思い出である。

中でもその三人については、結構な間リアルタイムで全作追いかけていたのだけれど、子育てだとか闘病だとかまあいろいろあって途中でついていけなくなってしまい、「あ、新刊、出てる……」と横目で見ながら「どこまで読んだっけ? 話覚えてるかなあ?」とか思っては、手を出せずにいた。

森博嗣については、Vシリーズと四季、女王の百年密室くらいまでは確実に読んでいて、そのあとのシリーズの途中から読んだ自信がなく、人間関係も若干曖昧……みたいな感じで、ああどこから読もうかな、いっそよまんどこうかな……っていうのを長年繰り返していた。

でも。でもですよ。

「SAIKAWA Sohei’s Last Case」って銘打たれたら、読まないわけにはいかないではないですか。

で、読んだら、懐かしくなってしまって、すべFから読み直し開始。現在、「夢・出逢い・魔性」にたどり着いています。

 

犀川先生が大好きでした。

女子高生女子大生だったころ、とにかく犀川先生が大好きでした。

私は描写とかトリックとかにも燃えるけど、キャラクター先行で本を読むところがあるので、犀川先生がとにかく好きだったのです(何度も言う)。

 

この本でこの話をしようと思ったのは、この本を読んだ直後に、N大文化祭の森博嗣の講演会に行ったのを鮮明に覚えているから。

大学の友達に森博嗣のファンがいて、一緒に応募したのに私が落ちて、たいそう気まずげだったお友達のことをすごく覚えているのです。結局彼女がほかのイベントと重なってしまって(という口実だったと思っている。本当に申し訳なかった)譲ってくれたことも鮮明に覚えているのです。そして、講演会聞いてメモして作った、講演会レポ(レポート用紙10枚くらいの)を渡したことも。

 

夢・出逢い・魔性」は、副題の英語が「You May Die in My Show」。ユメデーアイマショー的な、なんかこう、「What time is it now?」を「ホッタイモイジルナ」的なジョークも含めてのタイトル。で、もちろん「ゆめであいましょう」のひらがな読みもあって、三重の意味でおいしいタイトルだなーっていうのを、その友達ときゃっきゃと話していました。「めいだいってきこえるよね!」「じゃあ大学の講演会のこととかも含まれてそうだよね!」「やつならやりかねないよね!」みたいな、話を、きゃっきゃとしていたのですよね。

 

大学を卒業して、彼女が都会へ出ていくといったタイミングで、私は縁が切れてしまって、もう、今はどこでどうしているかわからないのですが。

あのときのきゃっきゃした気持ちは今でもたまに思い出します。

FOURTH RE:BIRTHDAY

 生まれ直して四年。

 正直なところ、私はその日に、生まれ直したとも思わないし、第二のバースデイとも、人生が変わった日だとも、思わない。

 まあ、ただ、特別な日であることは確かだ。

 

 4年前の、4月15日。

 右の乳房の全摘出術を受けた。

 乳がんだった。

 

 忘れているくらいがちょうどいいのだろうけれど、忘れられずに、ああ、4年だなと思った。思ったから、せめてもの気持ちを含めて、ケーキを食べてみた。

 

 正直なところ、私はその日に、生まれ直したとも思わないし、第二のバースデイとも、人生が変わった日だとも、思わない。

 思わない、が。

 

 生きていて、おめでとう、くらいには、自分を甘やかそうと思う日では、ある。

 美味しいケーキを食べる口実にくらいはしてもいいだろうという、日。

 

 いつか忘れられればいいと思う。

 忘れたままこの日が過ぎるときが、来れば。

ヨガニードラで号泣した話

 昨年の10月頃から色々あって、少しばかり、自律神経がイカれてしまった。自覚はあったが、整えてる場合ではなかった。整えている余裕がなかった。

 少しずつ事態は好転していて、というか、まあ一言で言うなら、介護していた人が病院に入ったので、生活の立て直しを図れるようになった。

 

 10月から1月中旬まで、とにかく睡眠が取れなかった。認知症を発症した実家の母は、深夜徘徊が常態化していた。同居はしていなかったので、スマホのGPS頼りだった。

 例えば夜中の3時に外に出たと通知が鳴る。

 速攻で電話をかけ、猫がいないのとか煙草がないのとかいう相手を、明日一緒に行こうねえ、家に帰ろうねえと猫なで声で諭す。怒鳴ったり怒ったりしてはいけない。しかも時折母は私が誰なのかもわからない。そうなるとまず、信頼を勝ち取るところから始めなくてはならない。

 さて、次に、わかった、帰る、と言わせたところで、相手が真っ直ぐ帰ると信じてはいけない。そして、帰ることができると信じてもいけない。自宅から徒歩5分の場所でも、道に迷う。帰ると約束した5分後にはそんな約束は忘れる。家に帰るまで電話を繋ぎっぱなしにし、GPSをみながら道案内をし、途中でまた猫は煙草はという会話になるのでまた猫なで声で諭して家に向かわせ、家についたらスマホを充電器に繋げさせる。スマホの充電器がどれなのかわからないし、そもそもどこにあるかもわからないし、コンセントのさしかたもわからない。できることなら布団に入って電気を消すまでスマホは繋ぎっぱなしにする。

 スマホに充電があるときはまだいい。GPSアプリは相手のスマホの充電の%までわかる。15%を切っていたら、即、迎えに行くしかない。GPSで母の居所がわかるうちに。

 そうして、昼間にうつらうつらしたとしても、また、母は昼間でも家を出るし、食事は食べたか、薬は飲んだかと日に何度も電話をしなければならない。その食事も週に数回作り置きを届けたり、冷凍食品やレトルトを一緒に買いに行ったりする。もう、家で火は使わせられず、レンジがギリギリだった。そのレンジの使い方も日によってはわからない。

 認知症かも、から、病院にかかるまでが1か月、そこから介護認定が取れるまで2か月かかった。当時、認定が取れていなかったので、介護サービスは使えなかった。母は一人っ子で、なおかつ離婚していて夫もおらず、妹が早逝したため、子供も私一人になっていた。頼りどころもなかった。

 そんなことを日々しつつ、仕事して、2軒分の家事をして、子どもの学校や部活の行事には何食わぬ顔をして参加し、既に決まっていた分のライブでは歌も歌う(唐突ですが私はアマチュアミュージシャンです)、という生活を続けているうちに、もともと自分自身の問題によって不安定気味だったメンタルと自律神経が、ほぼほぼボーダーラインすれすれになった。

 結果、10月から1月の記憶はぐちゃぐちゃで、ちゃんとした記憶と言えるのは子どもの関連のよかったニュースだけだ。よかったニュースだけでも記憶できて、その場に参加できて、良かった、と思う。不幸中の幸いだったなというのが、正直な気持ちだ。

 

 そんなこんなで、睡眠サイクルがめちゃくちゃになってしまった。母が施設に入居しても、なかなかもとには戻れなかった。

 幸い、私は請負型の出来高払いの仕事をしているので、一番バタバタしていた時期でも意地でもこなしていた。仕事を辞めずには済んだ。どうしても眠くなったら昼間に眠ることもできた。これも不幸中の幸い。

 けれど、頭痛、目眩、胃痛その他の肉体的な症状から、メンタル的な落ち込み、急に泣いたり急に怒ったり、電池切れとばかりに1日中寝たり、と色々生活に支障が出てきた。体を動かして疲れさせよう、とするには、そもそもの体調が悪すぎる。足が地に着くたびずきんずきん痛む頭でウォーキングは現実的ではないし、散歩道で人に会うことがまれな田舎で、目眩で倒れたらそのまま行き倒れ一直線でしかない。

 これはいよいよ病院にかかるか、睡眠導入薬とかの出番なのかと家族に相談する段階になってしまった。

 しかし、心療内科は混んでいた。予約は数か月待ちと言われた。もしかしたら飛び込みで病院に行ってしまえば、ひたすら待ってもいいなら…と診てもらえたのかもしれないが、科の特性上、あまり好ましいものとは思われなかった。(だからこそ予約で混み合っているのだろうし)

 そんなわけでとりあえず寝よう、寝る努力をしようという結論に達した。

 まず寝よう。

 

 そんなわけで、適当に催眠導入の音楽などをYouTubeで探し、もろもろ試していった。合うものも合わないものもあったし、続けるうちに効果が薄れて行くものもあった。おすすめ欄はよく寝れる系と、好きなアイドルや歌手と、ストレッチと手帳術(これらも自律神経対策の一種として検索しまくった)、たまにレシピ、みたいな雑多なものになっていった。

 その中に、ヨガニードラもあった。ヨガニードラの何に惹かれたかと言えば、「睡眠時間が短くても、◯◯時間の効果!」みたいな謳い文句。

 それが眉唾だろうが、今の私にはどうでもよかった。そうなれば儲けもの、くらいの気持ちで試していった。

 声質が苦手なものもあったし、後ろに流れるヨガ〜〜〜〜って音楽(語彙力)の音が不快に感じられるものもたまにあった。根気よく試していった。寝る前のストレッチとか、888ヘルツとか、波の音とか、色んなものを試しながら。

 そして、ある日突然、それに出会ったのだった。

 

 それは落ち着いた男性の声で始まった。

 姿勢を整え、深呼吸をした。

 

『おつかれさまでした。

 今日すべきことは、もう何もありません。

 考えるべきことも、もう何もありません。

 すべて、明日にしてしまいましょう。

 ゆっくりと、自分の体の声に耳を傾けましょう』

 

 それはヨガニードラとしてはある程度、決まり切った科白だったと思う。けれど、そう言われた瞬間、私は泣いていた。タオル2枚だめにするくらい泣いた。

 すべきこと。

 考えるべきこと。

 もう、ないのだ、と腑に落ちた。

 実際には、実家の片付けだとか、施設費の工面だとか、いろいろ考えるべきこともするべきこともある。

 けれど。

 夜中にGPSの通知で起こされることはもうない。スマホの充電の心配も、食事の心配も、薬の心配もしなくていい。明日でいい。全部明日でいいのだ。

 安堵していた。安堵しながら、安堵する自分がまるっきり冷酷な生物のように思えて、言いようのない自己嫌悪に陥った。でもそれすらも、明日でいい、明日で、間に合う。

 それから、ぽつぽつと眠れる日が増えてきた。

 眠れるだけで、体調は上向く。体調が上向くとメンタルも上向くから人体はすごい。睡眠はすごい。

 

 近々の目標としては、昼間眠らずに済むことを掲げたい。我慢して起きていようと頑張ってみたところ、本当に何をしていても眠ってしまう瞬間があり、危険で仕方がないので、短時間の仮眠を取っている。でもそれをとにかく減らしたい。ざっくり理由を述べるなら、請負じゃない、普通の、勤め人がしたいから。

 病院は気長に待つしかない。待てそうな気がしてきた。

 最終目標としては、何も聞かなくても眠れるようになること。

 毎日、眠ること。

 翌日また悩んで自己嫌悪して泣いたとしても、それが翌日で間に合うのなら、それでいいじゃないか、と、思えるようになること。

お通夜に行ってきた

 音楽仲間が死んだ。

 二十近く年上のひとだから、仲間、というよりは、大先輩、というべきなのだろうが、一緒にバンドをやっていた人なので、仲間、と呼びたい。呼ばせてもらう。

 解散したつもりのないバンドだが、頭のどこかで、もう復活することはないのかもしれない、と思っていたバンドの、ベーシストが死んだ。

 もう本当に復活することはなくなってしまった。

 ないのかもしれない、と、なくなってしまった、には大きな隔たりがある。

 ないのかもしれない、のほうが、当然だけど、何杯も何十倍も良かった。

 

 もう何年も会っていなかった。

 二度目の脳梗塞を患ったと聞いたとき、まさにコロナ禍真っ只中で、面会もできず、本人も望んでいないと人づてに言われた。でも一度目の脳梗塞のあと、ギター弾いて歌ってたからさ。いつかは会えるかなってちょっと思ってたよ。いつものイベントにふらっと来て、あなたが作ったイベントに、夫が引き継いだイベントに、ふらっと来て、ダメ出しして帰るんじゃないかなって思ってたよ。思っていたかったよ。

 

 あんなに痩せちゃってたんだなぁ。

 

 そのバンドに入ったのは私がハタチになるかならないかの頃だった。大学2年。

 バイト先はライブ喫茶だった。

 若い人たちがいっぱいというよりは、ちょっと渋めの、フォークソングとか、ジャズとか、そういうライブ。とは言えプロも来るお店だったし、でも敷居が高すぎるみたいなこともなくて、同好会みたいな人たちの演奏会のときもある。そんなお店。

 そのお客さんで、ギターボーカル、ギター、ドラム、ベースの四人組バンドに私は加入することになった。キーボードが欲しいと思ってて、と、その頃ジャズのピアノトリオをちょびっとだけ始めた私に、ジャズバンドにも所属しているギターボーカルの方が、声をかけてくれたのだった。

 とりあえず参加することにした。なんでもやってみたかった。

 当時は「オヤジバンド」って言葉がなんか流行してて。

 おやじバンドの紅一点(しかも若い)の立場をそこそこ謳歌して。

 結婚して子供産んで、でも、つま恋のオヤジバンドフェスティバルとか出たなぁ。

 子育てとか。他の人が引っ越したりとか。転職とか。そういうのがあってだんだん活動できなくなって、でも、やれたらいいよね、いつかやろうねって会う度喋ったよね。

 せめてCDには残したくない?って言ってたよね。

 毎回テープに練習録音してたよね。

 聞き直してたよね。

 休憩中の馬鹿な会話とかも全部聞き直して笑ってるって言ってたよね。

 一個くらいもらっとけばよかったなぁ。

 

 お通夜の会場に入ったら、小さな音でだけどロックが流れてた。思わず天井見ちゃった。ビートルズ? クラプトン? ボブ・ディラン? 聴き取れなかったけど、エレキギターの歪んだ音がしてて、あー、って思ったな。あー。

 棺の中の人は知らない人みたいに真っ白で、なんか痩せてて、だけど、その横に立ってたベースに、よくかぶってた中折れ帽がちょこんと載ってて、また、あー、って思ったな。

 祭壇の写真は見覚えのあるふくふくした顔の写真で、その周りにはビートルズとかクラプトンとかポールとか、レコード置いてあった。誰が選んでくれたのかな。好きだったよね。好きだったよねビートルズ。ポールの話、良くしてたよね。

 ああ。

 あー。

 なんにも言えなかったなあ。

 泣いたよ。

 

 だけど私にはそんなに音楽の話をしても打てば響くみたいにはかえってこないってわかってたのか、私には本の話が多かったね。

 京極の話いっぱいしたよね。

 あとラヴクラフト

 ねえ。

 京極の新刊読んだかな。

 ずーっと待ってたよね私たち。

 新刊出るんだって!!

 て送ったメールは戻ってきた。相手に届かなかった。そりゃ何年も連絡してないもんなと思ったし、病院に長く入ってるらしいとその頃には噂で聞いてた。でもさ。

 でもさあ!

 

 さみしいね。

 さみしいよ。

 

 音楽仲間がいっぱい来てたね。

 私が帰ってからも来てたのかな。来てたよね。

 

 正直なことを言えば、ぶっきらぼうな物言いで、怖くて、最初は苦手だったけど。

 そこそこ、仲良くしてくれてたと思ってるんだけど。

 そう自負しているんだけど。

 ね。

 

 昨日の夜はしこたま飲んだよ。

 あなたはお酒好きじゃなかったけどさ。

 飲まずにいられなかったな。

 飲みながらこれを書いた。アップしようか迷ったけど、自分のためにしておく。いつかの自分のために。あと、私の文章を時々褒めてくれたベーシストへの感傷として、残しておきます。

 

 ばいばい。

 御冥福をお祈りします。

 祈るしかないじゃん。

 ねえ?

推しが結婚した。一か月前のことだ。

 推しが結婚した。1か月前のことだ。

 名前はあえて言わない。

 ただ、そのひとの活動にはガンガン触れていくので、誰のことを書いているのかはあっという間にわかるだろうと思う。

 でも、別にこの日記でバズりたいとか、そのひとの担当さんを責めたりなにかのシンボル的になったりすることも望んでいないので、気付く人には気付いていただき、気付かない人には永遠に気付かれなくてもいい、そういう気持ちでこの文章を書いている。だから、せめてもの抵抗で名前だけは書かないつもりだ。

 推しブログとか担降りブログとかお気持ち表明ブログとか、そういうものが世にあることは知っていたけど、書こうと思ったのは初めてだ。

 なぜわざわざ言語化しようと思ったのかと言うと、自分が、他の人達とはだいぶ違う受け止め方をしているのではないかということに気付かされたから、としか言えない。

 こういうファンも居るのだという一例としてご笑覧いただければ幸いである。

 

 

 私がそのひとの存在を知ったのはおそらく2012か2013年。

 図書館で予約1位になっていた小説を「へえ〜人気あるんだ〜」という単純な興味で予約して読んだことから始まる。

 当時、幼稚園児の子育て真っ最中だったこともあり、図書館にはよく通っていた。私は自他ともに認める本の虫で(読了冊数が年間100冊を下回ることはまずない)、子供の絵本を読む、本に親しませることに関しての情熱も人一倍あったと思う。

 また子育て中で仕事をしている方ならご理解いただけると思うが、その頃、私が観るテレビ番組はほとんど子供向け番組だった。あと、録画して観る少しのドラマやアニメ。

 また、当時の私は2次元と声優コンテンツの方に興味が向いていて、某事務所には一般的な知識があるくらい。プラス、自分が学生時代はバレーボールをやっていたこともあり、バレーボール観戦が趣味だった。だから、バレーボールでデビューしたグループの名前くらいは知っている(個人名はほぼ知らない)、という程度だった。

 ので、図書館の予約ランキングで名前を見、帯もついていない『ピンクとグレー』は、私にとって、名前も知らない作家の、やたら人気の作品、というだけの存在だった。

 そして、その本は面白かった。

 はじめましての作家さんの文章は大概前半飲み込むのに苦労をする。もれなくこの作品もそうだった。が、後半はもう一気。やめられなかった。

 なんだよ! もっと早く教えてよ! 他の作品も読むわ! と参照した著者近影とプロフィールで初めてそれが某事務所のアイドル様の書いたものだということを知った。

 今思い出しても幸運な出会いだったと思う。

 私は作家になりたかった人のはしくれなので、芸能人が書いた本を当時毛嫌いしていた。有名なら書けていいね! と思っていた。(叩いたりはしないけども)だからきっと、知っていたら手に取ることはなかった。

 でも、先入観なしで読んだ結果、ぶん殴られたのだった。

 だってもう好みだって思っちゃってたのだ。

 今更その感情自体は取り消せない。

 というわけで、芸能人だって本書くよな…だって兼業作家いっぱいいるんだもんな…に鞍替えを迫られた。おかげさまで芸能人の書いた本もいまは普通に楽しめます。ありがとう。

 

 話が盛大にそれてしまった。

 とにかく2012年頃に『ピンクとグレー』を読んで、私はそのひとの名前を覚えた。が、正直なところ、小説にしか興味がない。

 だけど、『閃光スクランブル』は発売されてすぐに買ったし、『burn』も買った。『傘を持たない蟻たちは』は好きすぎて、2冊買って人に勧めまくった。とにかく好きだった。

 とにかく小説が好きだった。

 やるせなくて痛々しくて、時々むき出しで、でも愛おしかった。愛情なんてって口にしてそうだけど、結局人間のことを好きな人なんだなと思った。

 この時の私は未だに作家としか認識していなくて、歌番組で四人を見ても、どれが誰だかすらわかっていなかった。

 でも今思い出せば、私は『金八先生』も『カクレカラクリ』も『パパとムスメの7日間』も『失恋ショコラティエ』も観ていた。(ちなみに同グループのメンバーさんの映画やドラマも観ていた。『レジデント』とか大好きでした)のに、私はそのひとがその文章を書いたのだということを認識できていなかった。

 このまま小説家としてだけ好きでいるのかと思いきや、転機が訪れる。

 

 そう。

 タイプライターズ。

 私の沼落ちの大きな要因、タイプライターズ。

 

 先程も書いたように、私は自他ともに認める本の虫だ。本の番組は大好物。週刊ブックレビューを毎週録画していたくらい。

 また、「太宰治が大好き」な又吉さんにものすごいシンパシーを抱いていた。太宰治で卒論を書いた筋金入りの文学部卒の学生だった。

 で、「この名前!! 知ってる!!」と喜び勇んで観たタイプライターズ。

 顔を覚えた。

 そして「あのときのあの役のあいつ!! おまえだったのか!! あの小説を書いたのは!!」と遅い気付きを得た。

 私は湊かなえさんの回がとにかく好きで、何回見たかわからない。

 そしてFCへ。

 他のメンバーのことも好きになり、NEWS友達もでき、ライトなファンのつもりがずぶずぶと沈み始め、今や窒息寸前まで沈んでいる自覚はある。

 

 でも。

 私はそのひとが結婚したと聞いて、ほんっっっとうに、ほんっっっっっとうに、嬉しかったのだ。

 

 鍵アカなので実物をお目にかけることはできないが、発表の会ったその日のポスト。

 

マジで声出た

 

えっおめでとう!!!

 

NEWSと小説続けてくれたらぜんっぜんなんでもだいじょぶです

 

あんなかつじさんといっしょにいて、インド行ったりアメリカ行ったり映画見て本読んで音楽作っててどーやって恋愛するんだ笑笑笑

すげーな

 

でもなれのはて読んでて、あー結婚に対して割とやわらかい気持ちになってんだなーとは思ったなー。昔は結婚まじ嫌みたいなトークしてたよねー

 

20周年が全部終わるまで待っててくれたんだなぁ

 

 

以上。

 

 私は結局、最初から最後までとにかく嬉しかったし、家にクラッカーがあれば鳴らしただろうなと思う。

 夜に一人で乾杯もした。

 嬉しかった。

 結婚が今後の幸福を確約してくれるものでないことは重々承知しているけれど、でもそれでもそのひとが「一人で人生を生きていかないで済むのだ」ということが、私はとても嬉しかった。

 

 そもそもそのひとは恋愛や結婚といったものに懐疑的なことを口にすることが多かった。なんか若い頃に痛い目見てんだろうなと思いながら見ていた。でも、懐疑的で否定的なくせに、運命の恋みたいなものへの憧れというか、そういうものが実在すると信じているところがそのひとにはあった。あったと思う。

 なんもかんも忘れて引きずり込まれるような恋愛への憧れというか、そういう抗いがたいものへの憧れみたいな思い。

 その反面で、そのひとは自分の仕事だとか立場だとかいうものを気にする人でもあった。

「このひと素敵だな、好きだな、と思っても、その気持ちには水をやらないで枯らす」といった趣旨の発言をそのひとはしていた。だってこういう仕事なんだし、そういうのは当たり前でしょとでも言いたげにそれを言った時、私はたいそう悲しくなった。

 そんな悲しい決意は要らない。

 そんな思いをすることが当たり前だと思ってそのひとが生きていくことは本当にほんっっっとうに嫌だと思った。

 だから、「水をやらなくても」枯れなかった、抗いがたい運命みたいなものに、そのひとが出会ったのだと思ったら、嬉しかった。

 

 けれど、うれしー!!と叫ぶ私の周りでは、傷ついた、降りる、嫌いになりたい、ひどい、好きだから祝福したいけど愚痴は言わせて!、の声が大多数で、「既婚者がいたらファン減るからもう終わりだね、二度とドームとか立てないわ」「二十周年やる気なんかなかったんだ」「終わった途端に待ち構えたみたいにしやがって」みたいな暴言もちらほら見かけた。

 私は上げた諸手をゆっくりとおろして、Xをしばらく開かなかった。

 その間に、お気持ち表明ブログとか担降りブログとかがぶわっと広まった。2週間ほどしてから、私もいくつかは見た。

 そういうブログに書かれた気持ちを、否定はできない。

 そうなる、ということがわかっていたから、そのひとは「水をやらない」と言っていたのだろうということもわかった。

 

 だけど。

 だから。

 一度くらいは声を上げてみようと思ったのだ。

 

 私、心から嬉しいよ!!

 おめでとう!!

 結婚おめでとう!!!

 幸せになってね!

 そんで、ファンの前でいっぱい笑ってね!

 幸福な基盤の上で、その上で、踊って歌って笑って、小説を書いてね!

 

 もしも子供ができたりしたら、きっとまた書くものが変わるよね。

 その子供が大きくなったりしたらきっとまた歌い方が変わるよね。

 そういうあなたを、待ってるからね!!!

 

 そういうファンも居るってことを、ただ、声に出してみたかった。

 本人に届けようとも、誰かを責めようとも貶めようとも(でも暴言の奴らは責めても貶めてもいいと思ってるけどな!!!)、なんならこれが誰の目にも止まらなくてもいい。

 

 ただ。

 そういう決意でファンをやってます。

 と言いたかっただけ。

 

 最後に。

 本当にほんっっっとうに結婚おめでとう!!!!!