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雑多です

ヨガニードラで号泣した話

 昨年の10月頃から色々あって、少しばかり、自律神経がイカれてしまった。自覚はあったが、整えてる場合ではなかった。整えている余裕がなかった。

 少しずつ事態は好転していて、というか、まあ一言で言うなら、介護していた人が病院に入ったので、生活の立て直しを図れるようになった。

 

 10月から1月中旬まで、とにかく睡眠が取れなかった。認知症を発症した実家の母は、深夜徘徊が常態化していた。同居はしていなかったので、スマホのGPS頼りだった。

 例えば夜中の3時に外に出たと通知が鳴る。

 速攻で電話をかけ、猫がいないのとか煙草がないのとかいう相手を、明日一緒に行こうねえ、家に帰ろうねえと猫なで声で諭す。怒鳴ったり怒ったりしてはいけない。しかも時折母は私が誰なのかもわからない。そうなるとまず、信頼を勝ち取るところから始めなくてはならない。

 さて、次に、わかった、帰る、と言わせたところで、相手が真っ直ぐ帰ると信じてはいけない。そして、帰ることができると信じてもいけない。自宅から徒歩5分の場所でも、道に迷う。帰ると約束した5分後にはそんな約束は忘れる。家に帰るまで電話を繋ぎっぱなしにし、GPSをみながら道案内をし、途中でまた猫は煙草はという会話になるのでまた猫なで声で諭して家に向かわせ、家についたらスマホを充電器に繋げさせる。スマホの充電器がどれなのかわからないし、そもそもどこにあるかもわからないし、コンセントのさしかたもわからない。できることなら布団に入って電気を消すまでスマホは繋ぎっぱなしにする。

 スマホに充電があるときはまだいい。GPSアプリは相手のスマホの充電の%までわかる。15%を切っていたら、即、迎えに行くしかない。GPSで母の居所がわかるうちに。

 そうして、昼間にうつらうつらしたとしても、また、母は昼間でも家を出るし、食事は食べたか、薬は飲んだかと日に何度も電話をしなければならない。その食事も週に数回作り置きを届けたり、冷凍食品やレトルトを一緒に買いに行ったりする。もう、家で火は使わせられず、レンジがギリギリだった。そのレンジの使い方も日によってはわからない。

 認知症かも、から、病院にかかるまでが1か月、そこから介護認定が取れるまで2か月かかった。当時、認定が取れていなかったので、介護サービスは使えなかった。母は一人っ子で、なおかつ離婚していて夫もおらず、妹が早逝したため、子供も私一人になっていた。頼りどころもなかった。

 そんなことを日々しつつ、仕事して、2軒分の家事をして、子どもの学校や部活の行事には何食わぬ顔をして参加し、既に決まっていた分のライブでは歌も歌う(唐突ですが私はアマチュアミュージシャンです)、という生活を続けているうちに、もともと自分自身の問題によって不安定気味だったメンタルと自律神経が、ほぼほぼボーダーラインすれすれになった。

 結果、10月から1月の記憶はぐちゃぐちゃで、ちゃんとした記憶と言えるのは子どもの関連のよかったニュースだけだ。よかったニュースだけでも記憶できて、その場に参加できて、良かった、と思う。不幸中の幸いだったなというのが、正直な気持ちだ。

 

 そんなこんなで、睡眠サイクルがめちゃくちゃになってしまった。母が施設に入居しても、なかなかもとには戻れなかった。

 幸い、私は請負型の出来高払いの仕事をしているので、一番バタバタしていた時期でも意地でもこなしていた。仕事を辞めずには済んだ。どうしても眠くなったら昼間に眠ることもできた。これも不幸中の幸い。

 けれど、頭痛、目眩、胃痛その他の肉体的な症状から、メンタル的な落ち込み、急に泣いたり急に怒ったり、電池切れとばかりに1日中寝たり、と色々生活に支障が出てきた。体を動かして疲れさせよう、とするには、そもそもの体調が悪すぎる。足が地に着くたびずきんずきん痛む頭でウォーキングは現実的ではないし、散歩道で人に会うことがまれな田舎で、目眩で倒れたらそのまま行き倒れ一直線でしかない。

 これはいよいよ病院にかかるか、睡眠導入薬とかの出番なのかと家族に相談する段階になってしまった。

 しかし、心療内科は混んでいた。予約は数か月待ちと言われた。もしかしたら飛び込みで病院に行ってしまえば、ひたすら待ってもいいなら…と診てもらえたのかもしれないが、科の特性上、あまり好ましいものとは思われなかった。(だからこそ予約で混み合っているのだろうし)

 そんなわけでとりあえず寝よう、寝る努力をしようという結論に達した。

 まず寝よう。

 

 そんなわけで、適当に催眠導入の音楽などをYouTubeで探し、もろもろ試していった。合うものも合わないものもあったし、続けるうちに効果が薄れて行くものもあった。おすすめ欄はよく寝れる系と、好きなアイドルや歌手と、ストレッチと手帳術(これらも自律神経対策の一種として検索しまくった)、たまにレシピ、みたいな雑多なものになっていった。

 その中に、ヨガニードラもあった。ヨガニードラの何に惹かれたかと言えば、「睡眠時間が短くても、◯◯時間の効果!」みたいな謳い文句。

 それが眉唾だろうが、今の私にはどうでもよかった。そうなれば儲けもの、くらいの気持ちで試していった。

 声質が苦手なものもあったし、後ろに流れるヨガ〜〜〜〜って音楽(語彙力)の音が不快に感じられるものもたまにあった。根気よく試していった。寝る前のストレッチとか、888ヘルツとか、波の音とか、色んなものを試しながら。

 そして、ある日突然、それに出会ったのだった。

 

 それは落ち着いた男性の声で始まった。

 姿勢を整え、深呼吸をした。

 

『おつかれさまでした。

 今日すべきことは、もう何もありません。

 考えるべきことも、もう何もありません。

 すべて、明日にしてしまいましょう。

 ゆっくりと、自分の体の声に耳を傾けましょう』

 

 それはヨガニードラとしてはある程度、決まり切った科白だったと思う。けれど、そう言われた瞬間、私は泣いていた。タオル2枚だめにするくらい泣いた。

 すべきこと。

 考えるべきこと。

 もう、ないのだ、と腑に落ちた。

 実際には、実家の片付けだとか、施設費の工面だとか、いろいろ考えるべきこともするべきこともある。

 けれど。

 夜中にGPSの通知で起こされることはもうない。スマホの充電の心配も、食事の心配も、薬の心配もしなくていい。明日でいい。全部明日でいいのだ。

 安堵していた。安堵しながら、安堵する自分がまるっきり冷酷な生物のように思えて、言いようのない自己嫌悪に陥った。でもそれすらも、明日でいい、明日で、間に合う。

 それから、ぽつぽつと眠れる日が増えてきた。

 眠れるだけで、体調は上向く。体調が上向くとメンタルも上向くから人体はすごい。睡眠はすごい。

 

 近々の目標としては、昼間眠らずに済むことを掲げたい。我慢して起きていようと頑張ってみたところ、本当に何をしていても眠ってしまう瞬間があり、危険で仕方がないので、短時間の仮眠を取っている。でもそれをとにかく減らしたい。ざっくり理由を述べるなら、請負じゃない、普通の、勤め人がしたいから。

 病院は気長に待つしかない。待てそうな気がしてきた。

 最終目標としては、何も聞かなくても眠れるようになること。

 毎日、眠ること。

 翌日また悩んで自己嫌悪して泣いたとしても、それが翌日で間に合うのなら、それでいいじゃないか、と、思えるようになること。